時代小説 雪しぐれ 17

著作権があります。コピー転載は禁止します。

17

志乃はあまり突然だったので驚いただけで、店主のいう事は聞かなければならない。

それに、この恋は忘れてしまおう、とも考えていたところだった。それは世間体というものもあり、妻を亡くした光行にすぐに噂でも

たてられたら手回しがいいと言われて笑いものになるだけである。

二人は絶対にむすばれてはいけない立場であった。 志乃はこの店の使用人にすぎない。志乃の心を押し殺してでもここを去るべきで

あるかもしれない。 しかし、他に働く場所などないし、生活もかかっている。

光行もまた気持ちの整理はつかないでいた。何か環境をかえなければ、とこの商売の不振も何かとしなければならない。

一旦志乃には近所の2階を借りて住んでもらい、店を改装しなおし小さくして、残りのスペースに別の商売をとしようと考えた。

つまり乾物商も今までのように手広くやらなくていい、また別の事を考えようと思っていた。

店にはもう一人くらいは店員もいるので新規で雇った。それは妙齢の行かず後家といわれる30過ぎの女性であった。

次の日さっそく顔あわせがあった。美人といわないまでも愛想のい良い商売向きの女性だった。

髪は長く結ってあった。今流行の(当時)アッパッパといわれる上着をはおって動きやすい洋服だった。

「宜しくおねがいします」

「こちらこそよろしく・・志乃と申します」

「お福といいます」

「お福さん、仕事は全て志乃さんに教えて貰ってください」

「はい」

サチがいない今は大先輩になってしまった志乃は、人に仕事を教えるという仕事も加わった。暫くは大変そうだ。

その数日後、光行の用意した近所の2階に引っ越した。

8畳と6畳で今までに比べて格段に広く、折り重なって寝る必要もなく志乃はほっとした。

荷物といってもたいしたものもなく、正造とお福にてつだってもらうだけで十分だった。

光行に出会ってから5年の月日がながれていた。志乃は飢えもせず、子供たちに学校へ行かせられること以外には何ものぞまなかった。

光行はこれから子供が大きくなって大学の事を考えなければならないので、商売もこのままというわけにもいかない。

そんな悩みを抱えているころだった。

或る日光行は突然次の商売の視察、勉強、といって同行してくれるように次の日を指定した。

(なんで私がおとも?)少し不思議な気持ちはぬぐえなかった。

そして、以前キクが志乃のために仕立ててくれた藤色のきものを着てくるように、着つけの手伝いは下宿している家のおかみさん

という事だった。

(誰かお偉い方にでもであうのだろうか・・・まさか?)

それにしても、この着物の存在を知っているという事は内緒ではなかったのだろうか。光行の心の中は相変わらず全然

分からない。そして行先もどこなのかわからないまま、その時間がきてしまった。

おかみさんは気さくな人なので、丁寧に着付けをてつだってくれた。

藤色の着物は着るのにこまらないように下着、帯から帯締め、持つ手提げかばん、草履まで事前にとどけられていた。

(これはきっと奥さまが・・・)なんだか申し訳なくて涙がでそうだった。

いささか場違いな華やかさと、はずかしさがあったが綺麗な着物を着るという事はこんなにも、自分に喜びをあたえてくれる。

光行はまるで花嫁を迎えるように迎えにきた。

「おおっ、うつくしい!よくにあっている。おかみさんありがとうございます」

「ようにおうてはる。とても若返ってみえますよね。山本さん」

「今日は特別な用事なので、留守をおねがいしいます」

「はいはい、わかりました。ごゆっくり」

おかみさんに見送られて二人はあるきはじめた。二人の子供にはすでにいってあった。

「それにしても、志乃さん、その着物はよくにあっている。キクはわたしにもいったのだが・・・」

「えっ?」

「もう自分はとてもおつとめはできない、と。もしよかったら志乃さんと暮らしてくださいと。 あれからもう一年もたつ」

「・・・・」志乃の気持ちは複雑でないをいうべきかもわからなかった。

「旦那様にも奥様にも。感謝しています。子供たちがこうして学校にも行けて、生きていられるのはお二人のおかげです。

奥様が、そんなようにおっしゃったなんて・・」

話したい気持ちはあったが、道端で話すような話題ではない。

電車を乗り継いで、何だか遠くに来てしまったような気がしていた。まるで新婚旅行のように、しかし、志乃は何も期待はしなかった。

ただ、こういう滅多にない時間が心が落ち着き暖かくなっていたのは事実である。

当然仕事の用事という事を信じていた。が、到着した駅の周辺を見て、おや、と思った。

ここは温泉地ではないか。志乃は歩きながら「これは一体どういうおつもりですか? もしかして次の商売は温泉でも?」

光行はにっこり笑いながいった。

「いや、おどろかせてすまない。志乃さんに言わなかったが、今日は仕事ではない。今日はゆっくりして明日が本番だ」

「それは・・・」

志乃がまさか、と思ったことはやはりそのとおりだった。

「それはこまります。今夜はかえらないと」

「子供たちなら心配ない。正造さんにたのんである。それともこんなに遠いのに帰るとでも?」

それは有無を言わさずといったところである。志乃は驚きをかくせないでいた。

「大丈夫、ちゃんと面倒はみてくれる」

光行は今日こそ結婚を申し込むつもりであった。

続く