時代小説 雪しぐれ 16

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志乃がキクの部屋を退出しようとすると、もう一度志乃は呼ばれた。

「志乃さん、お願いだからそのまま、着物を部屋にもって行ってちょうだい。私がもってはいけないから。誰にも頼まれることではないし。

お願い、頼むからお願い・・」

「・・・奥様・・・」

キクは弱々しい。志乃は内緒なので誰にも頼まれることではないという事を、よくわかっているのでとっさに考えた。

「わかりました。そこまでおっしゃるならとりあえずお預かりすることにします」

それが一番の今のいい方法かもしれない。本人が納得できることが大事なのだ。後で返すこともできるかもしれない。

そんなことがあってから、キクはますます危なくなってきた。

子供たちも勉強に忙しい事もあって、誰も具合が悪い事に気がつかなかった。

季節が変わり、ムシムシとした日が多くなり梅雨にはいっていく。家族はそれぞれの仕事をしなくてはならない。

そんな孤独の谷間でキクは心臓が弱って息をひきとってしまった。

発見したのはサチであった。

「奥様、お昼ですよ」

とお粥を炊いてもってきた。返事はなかった。サチはまだ寝ていられるのかと思い、そっと枕元にお盆をおきにいくと、

なんだか様子がおかしい。ぐったりとしているようだし、顔色がない。

「奥様! 奥様!」

異変に気が付き誰かをよんだ。大きな声は家中に響いた。


とうとうキクはこの世を去ってしまった。三人の子供と光行をのこして。

皆落胆した。当たり前のことではあるが、男ばかりのこされた。

光行は、しかし泣いている暇などなかった。山のような仕事は次から次へと波のように押し寄せた。

商売をしている、ということもあり、しばらくお店もやすむし、連絡事もある。

暫くはサチも普通に働いていたが、落ち着くと、自分は兄の世話もあり、これ以上は働けないのでやめるといいだした。

一番頼りにしているサチにそういわれると、光行も一番ショックでもあった。サチはたった2人兄妹で兄の面倒を見なければ

ならないというので引き留めることもむつかしかった。

正造は何も言わずもくもくと働いてくれていたのでまだ、商売もどうにか回っていた。

志乃も今まで以上の仕事が回ってきた。行儀見習いの2人はそれぞれの家庭が引取りに来た。

そのころからゆっくりと商売の方も転機をむかえていた。

あちこちに同じ商売があらわれたりした。時代も大きくうごきはじめていた。

着物文化の日本も、外国(特にアメリカ)から簡単に作れて動きやすい婦人服や農作業に便利なモンペなどがミシンの輸入とともに

できるようになり、暮らしも簡素化、便利になった。

食べ物もレストランなど、洋食屋ももちらほら出始め、喫茶店もコーヒーを出し始め、珍しい物好きの人達はいくようになった。

光行は志乃にある決意を言たかったが、なかなかいいだせないでいた。

それを言う前に商売も少しいきづまっていて、ある決意を断行させなければならなかった。

その前の日に光行の3人の子供と、志乃の子供2人とサチと良子あやは辞めていなくなったので正造と8人であるが

「洋食屋につれていってやる」

といって今まで食べたことのない「オムライス」や「トンカツ」をしているお店にいった。

子供たちはめずらしくて、よろこんだ。

「叔父ちゃん、トンカツって何?どんなもの?」

「ああ、勝君、ブタってしってるだろう、あの肉を衣を付けて油で揚げるんだ叔父ちゃんもはじめてさ」

「ねえ、父さん、オムライスは、どんな食べ物?」

「光太、鶏の卵はしってるだろう?あの卵にご飯や野菜をいためてつつむんだそうだ、つまりごはんの外身は卵焼き!?

ははは、本当は父さんもよくわからんがね」

当時としては最先端の流行の食べ物だが、誰にでも行けるような雰囲気でもなかった。

光行は自分の商売の限界を感じていたので、ひょっとして閉店にまで追い込まれるかもしれない、今のうちにこの子たちにいい思い出を

残してやりたい、という一心だった。

この日は、あのお花見以来の店総出のできごとだった。光行の心中は誰もわからなかった。

そして生まれて初めての西洋文化にも触れた。アメリカの珍しい写真や切手、古い時代の電話機など置かれていかにも洋風

にしつらえてある。

子供たちは目を輝かせて喜んだ。そして楽しい束の間のひと時はすぎる。子供たちも母親を亡くして、光行は少しでもあかるくさせたかった。

志乃も久しぶりに家族でもないのに家族一緒のような雰囲気で楽しかった。

次の日思い切って志乃にどうしても言わなければならないことを言う、と決心した。

「志乃さん、」光行は深刻そうな顔で切り出した。

「今から言う事は、よく考えた上で言うことだから心して聞いてほしい。そして誤解のないようにしてほしい。志乃さんのこれからの事も

重きにおいています」

「はい」突然改まって言うので、何かよほど思い詰めていることなのか。志乃には考えも及ばない。

「志乃さんがここに居てくれることは。皆にとっても助かって安心できる。しかし、2人の子供さんは大きくなっていく。

仕事の事も朝早くから夕方まで切りのない用事がある。これはサチさんが居なくなって当たり前かもしれない。が、このまま

切りのない仕事で志乃さん自身が無理をしては体をこわす。

それが一番わたしとしても今までより困ることになるので、そこで・・・。」

「そこで?」

「近くの家の二階があくそうでそこに住んでもらおうとたのんである。志乃さん、誤解しないでください。無理やりとはいわないが、

少なくともきりのない用事はしなくてすむと思ってね」

志乃は一瞬だが光行の心をはかりかねた。でもよく考えればそうかもしれない。いくら健康といえども限界がくるかもしれない。

光行は志乃はきっと動揺するだろうと思っていたが、理解もしてくれるだろうともおもっていた。

続く