時代小説 雪しぐれ 15

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それからしばらくは田島もこなかった。しかし、油断はできない。光行はあまりしつこいようだと商売の取引は断ってもいいと
思っていた。

志乃はなぜか気分がすぐれない日をすごしていた。そんなある日のこと。

毎日床に臥しているキクが珍しく、志乃をよんでいるという。サチが呼びに来た。

「奥様がおよびです」

キクは見るたびにやせていくようで心配だったが、誰もどうにもできないことであった。

「奥様、いかがですか?」

「志乃さん、よくきてれくれました」

「?」 行くのは当然の事なのに・・・。

「少しお話があるのです。私は長い事病気で寝てしまって、無にもできなくなりました」

「奥様お辛い気持ちはよくわかります。私にできることでしたら何なりといってください」

「ありがとう。今から言うことは決して誰にも言わないでほしいの。内緒の話ですから」

と前置きした。一体何?

「志乃さんの横にある箪笥だけれど、3番目をあけてくれる?」

「はい」

志乃は言われる通り和箪笥の3番目を開けてキクのいうとおり,たとう紙にしまわれた新品の着物をだした。

「あけてみて!」

「はい」

志乃は(今頃、寝ていらしてお着物は着られるのは無理・・・)と考えながらキクの気持ちはおしはかることさえできなかった。

志乃が丁寧にたとう紙を開けると薄い紫色のお召しの着物がすがたをあらわした。

「まあ、綺麗!」

思わずため息が出るくらいの上品な着物。藤色の無地で裾にはポイントの小さい刺繡がほどこされている。

今まであまり見なかった綺麗さでもあった。

「いいでしょう?その着物。実はね、それは志乃さんにあげるために先日つくったものなのよ」

一度だってこんなに高級な着物は着たこともないし、見たこともない。キクは何を考えているのか・・。

昔の恋仇の自分になぜ? 志乃はここの家の使用人ではないか。キクの気持ちはわからなかった。

この時ばかりはキクの瞳の奥まで見つめてしまった。

キクの気持ちは想像もできないほどの緊張感があり、なにかを思いつめているのか。

「それでね、お願いがあるの。子供たち、とくに光輝はあのままではかわいそうだけれど、私にはこれ以上何もしてやれない。

子供の事はお願いはできないけれど、ただ・・・・光行の事を、志乃さんにお願いできればと・・・」

志乃はすかさず言った。

「何をおっしゃるのです。奥さま気を確かにお持ちください」

キクはそこまで追い詰められているのか。信じがたい言葉がキクの口からこぼれる。

「そんな弱気でどうするのですか。 私がとやかく言うことではありませんが、お子さんや御主人様のために、治っていただかなくては

いけません」

よりにもよって志乃にお願いするとは信じられなかった。キクはうっすらと涙をうかべながら、真剣でもあった。

あんなに気のしっかりした人が・・・武家の誇りをもって嫁いできた人なのに、志乃に弱みをさらけだしている。

そんなことがありえるのか。信じることさえできないような一幕でもあった。

志乃も混乱していた。(どうして・・・どうして・・・返事などできない。まるで遺言ではないか)

光行を宜しく、とはどういう意味なのか。そんなことなら一層の事、仕事を取り上げて辞めて下さいの方がましでないか。

再婚してくれと・・? そんなことはできるわけもない。またそんな気持ちも毛頭ない。

例え光行にもしか、言われたとしても。

弱々しく寝ているキクの気持ちはわからないでもないが、とてもうかつな返事もできず・・・。

もしかしてキクは自分の命の少なさを察しているのか。もしそうだとしたら志乃に言うべきことではない、のではないか。

「志乃さん。お願いしましたよ。これで安心しました」

「何をおっしゃるんですか。聞かなかったことにします。どうか子供さんのためにも、長く奥様に居ていただかなくてはこまります!」

静かにだまって着物をたたみ、また和箪笥にしまうと志乃はいたたまれなくなって部屋を静かに出ていた。

頭の中の混乱は収まらない。

それからのキクは誰の目にも弱り切った病人という感じになってしまった。光行もどうにもできないまま、しばらくの時はすぎていった。

季節は雨や蒸し暑さを運び、健康な者もつらい日々、家屋は皆仕事をしていて、気が付かなかったが異変は起きていた。

続く